ヒヴァ

ホレズム帝国の最後の都

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ホラズムの州都ウルゲンチから南に30kmのアムダリヤ川の下流のオアシスの町。古代ペルシャ時代からカラクム砂漠への出入口として繁栄した。伝説によると、ヒヴァは泉が湧き出た所にできた。その泉はヘイヴァク(おいしい水)と呼ばれ、後にヒヴァと言うようになった。

ヒヴァは、二重の城壁で囲まれて、全長6kmの城壁で囲まれた部分をディシャン・カラといい、その内側に約2kmの城壁で囲まれた内城をイチャン・カラという。観光客にとって、ヒヴァはこの旧市街「イチャン・カラ」を指している。高さ約8~10m、厚さ約6m、全長2,250mの城壁に囲まれた小さな町である。

ヒヴァという名前は8世紀には存在したことが知られている。元々小さな町で、16世紀にヒヴァ・ハーン国が置かれた後も現在のイチャン・カラの中に収まっていた。それが18世紀末にロシアとの交易が活発になるとともに、ハーンや有力者は流れ込んだ富を競いモスクやマドラサ、宮殿を建設し、古い物には改修を加えていった。その結果、イチャン・カラの中に建築物が密集するようになった。

このイチャン・カラは、1967年には「博物館都市」に指定。1990年、ユネスコの世界遺産に登録され保存されている。今も3,000人ほどが住んでいる。

 

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ヒヴァの見どころ

オタ・ダルヴァザ
オタダルヴァザ

イチャン・カラの西門で、父の門という意味。観光バスが発着し、ヒヴァの正門のようになっている。この門をくぐる城壁にチケット売り場やガイドの詰め所がある。2日間有効の共通入場券の販売をしている。西門以外からは無料で入れてイチャン・カラ内の散策はできるが、見どころは共通入場券がないと見学できないので、初めに購入しておいた方が良い。

イチャン・カラの城壁
イチャンカラの城壁

イチャン・カラは紀元前5~4世紀に建設された。壁は短く柔らかい藁の入った土のレンガで造られ、時代と共に何度も建て直された。周りは水が入った塹壕だった。イチャン・カラの南に塹壕の跡があるが、北や東はアスファルトで埋められ舗装されている。結婚式シーズンには、多くのカップルが撮影にやって来て、城壁の周りには飾りを付けた車が目立つようになる。

ムハンマド・アミン・ハーン・マドラサ
ムハンマドアミンハーンマドラサ

西門を入ってすぐ右手、カルタ・ミナルの隣に位置するこのマドラサは、2階建てで中央アジアにおいて最も大きな規模の神学校であった。最盛期には99人の寄宿学生がいたと言う。ここには神学校ばかりでなく、イスラーム教の最高裁判所の事務局もあった。正面入口や建物の前面はタイルで装飾されている。昔のマドラサをそのまま使い、1977年からホテルとして利用されている。

カルタ・ミナル
カルタミナル

ヒヴァのシンボルとも言えるミナレット。カルタとは小さいと言う意味。ムハンマド・アミン・ハーンによって1852年に着工。一番高いミナレットになる予定だったが、29mで建築が中断された。ヒヴァの歴史家ムーニスによると、1855年にハーンが急死したからである。巨大な直径と七宝焼を用いた美しいデザインを誇り、未完成と言う事で唯一無二のミナレットとなった。

ジュマ・モスクとミナレット
ジュマモスクとミナレット

10世紀に建てられた多様式建築のモスクで、中央アジアで有名なモスクである。今の形になったのは18世紀末頃。モスクの中には213本の柱があり天井を支え、小さな天窓から入る光が神秘的である。柱の彫刻は1本1本が違い、古い柱は10~11世紀の物である。モスクの前にあるミナレットの高さは42m。別料金で上ることができる。町の中心にあり、ヒヴァを一望できる絶好スポット。

パフラヴァン・マフムド廟
パフラヴァンマフムド廟

メインストリートから南に入った所にある霊廟。毛皮職人であり、詩人で、哲学者で、クラッシュの名手でもあったパフラヴァン(強者)・マフムドが眠っている。聖人の傍に葬られると来世で幸せになれるという言い伝えがあり、彼の墓の傍には14~20世紀にかけて作られたたハーンの親族の墓もある。中庭には泉が湧き出し、この水を飲むと男は強くなり、女は美しくなるといわれている。

スザニ・センター
スザニセンター

パフラヴァン・マフムド廟の隣に、ユネスコと外国の援助団体が運営するトレーニング・センターがある。スザニや絨毯の職工技術を見学でき、染料や制作工程なども紹介されている。綺麗な刺繍のクッションカバーなど、実用的な布製品が買えるので、お土産探しに良い。

イスラーム・ホジャ・マドラサとミナレット
イスラームホジャマドラサとミナレット

ヒヴァの最後のハーン、イスフェンディヤル・ハーンの大臣イスラーム・ホジャ大臣によって1910年に建てられた。ヒヴァで最も新しい物だと言える。ミナレットの高さは45m。118段の階段があり、ヒヴァで一番高い。別料金で上ることができる。

キョフナ・アルク
キョフナアルク

17世紀に建てられた古い宮殿という意味のハーンの宮殿で、タシュ・ハウリ宮殿(新宮殿)と区別するためにこう呼ばれた。18世紀末頃、城内はハーンの執務室、応接室、ハーレム、冬季用や夏季用のモスク、造幣所、馬小屋、倉庫や工場、兵器庫などがあり、町の中の町のようになっていた。現在のキョフナ・アルクは19世紀初期に修復された物である。

アク・シェイフ・ボボの見張り台
アクシェイフボボの見張り台

キョフナ・アルク城はイチャン・カラの西の壁とアク・シェイフ・ボボの住居に繋がっている。キョフナ・アルクから、別料金で見張り台に上ることができる。ミナレットの急な階段と違い、簡単に上れるのでお勧めだ。見張り台の上からは、西側の城壁からヒヴァの町全体を見渡す事ができる。観光の場所になっているところも、イチャン・カラの中の人々の暮らしの様子も分かる。

ムハンマド・ラヒム・ハーン2世・マドラサ
ムハンマドラヒムハーン2世マドラサ

キョフナ・アルクの東側にある1876年に完成したマドラサ。ヒヴァの巨大マドラサの一つとして中央アジアで知られていた。マドラサには中と外の2つの庭があり、中庭には一戸建ての建物で部屋がある。外庭にはアーチの部屋が並んでいて、教室、図書室、冬用、夏用のモスクがある。屋根の三角小間や縁の装飾、表の柱には七宝焼が大量に使われている。

タシュ・ハウリ宮殿
タシュハウリ宮殿

アラクリ・ハーンによって1830~1838年に建てられ、ヒヴァの東に位置している。アラクリ・ハーン時代は、ハーン政権史上1番強い政権で、国際政治やロシアとの貿易の成功が特徴的である。その結果、建築物の豪華な装飾が可能となった。キョフナ・アルクに匹敵する物として建てられた宮殿で、その豪華さは19世紀の建築物の中で代表的なものである。

アラクリ・ハーン・マドラサ
アラクリハーンマドラサ

アラクリ・ハーンが1830~1840年にかけて東門の隣にマドラサ、バザール、キャラバンサライを建てた。現在、マドラサの中はウズベキスタンの伝統的なデザインの復刻を目的とした、ユネスコが運営する職工技術訓練センター。自由に見学でき、お土産も買えるのでお勧め。シーズン中には、ホラズム伝統舞踊のコンサートも行われている。

パルヴァン・ダルヴァザ
パルヴァンダルヴァザ

イチャン・カラの東の門で、別名を奴隷の門。かつて、ヒヴァは中央アジアで一番の奴隷市場がある町として知られていた。門は、約60mの細長いアーケード状で、両側の窪みに鉄格子が入れられ、奴隷が売買されていた。ヒヴァのハーンは奴隷を仕入れるために近隣の住民や旅人を襲わせた。奴隷はトルコ人部族やカザフ人に買われたと言う。

ファルーフ
ファルーフ

ジュマ・モスクの向かいにあるチャイハナ。色々なウズベク料理を楽しめる。香草が練り込まれた緑のラグマン、シュヴィット・オシュはヒヴァだけの味。
ホラズム地方のプロフは、油っこくなくて美味しい。とても日本人に合う。
ノンも薄くて平たい形をしている。同じウズベク料理も地方によって様々、食べ比べも旅の楽しみのひとつ。