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シルクロードを代表するオアシス都市、サマルカンド。都市としての起源は紀元前10世紀まで遡ると言われる。
ゾロアスター教のアヴェスタには「そこには、水面が穏やかな広くて運航が可能な水路や深い湖もある。水の豊富な高い山からザラフシャン川が流れ牧場は餌が豊富、農業に良い土地があるザラフシャン盆地」と書かれている。アヴェスタでは地方名はソグドと書かれ、古代ギリシャ人にはマラカンダ、中華世界では康国の名前で呼ばれた。
住民であったイラン系のソグド人は商才と工芸技術に長け、数世紀に渡ってサマルカンドを築き上げた。
紀元前4世紀、この地に遠征したアレキサンダー大王に「話に聞いていた通りに美しい、いやそれ以上に美しい」と言わせたほど、町は発展を見せていた。
サマルカンドは常に周りの支配者が狙う場所であった。それはシリア、トルコ、ペルシャ、インド、中国のキャラバンが通るシルクロードがあったからである。ソグド人は、この地を中心に、国際的商人として、また東西の文化伝播者として活躍していた。
しかし、1220年のモンゴル軍の攻撃で町は壊滅した。そして14世紀、そのサマルカンドを蘇らせたのがティムールである。遠征先で得た富と、帝国各地から連れ帰った職人や建築家を使い、サマルカンドを繁栄させるべく力を注いだ。ティムールが好んだトルコ石色の青は、サマルカンド・ブルーとしてサマルカンドを印象づける色となった。後代の君主たちもそれに習い、今の「青の都」が生まれたのだ。
2001年、サマルカンド―文明の十字路は、ユネスコの世界遺産に登録された。現在、建都2750年を迎えたサマルカンドは、首都タシケントに次いでウズベキスタン国内2番目の経済的、文化的中心都市でもある。その中に残された壮大な建築群は圧倒的な迫力でウズベキスタンの観光客を魅了する。
Contents
サマルカンドの見どころ
レギスタン広場
サマルカンドの中央にあり、観光のハイライト。レギスタンとは「砂の地」の意味。チンギス・ハーンの襲来以後、アフラシアブが壊滅状態になり、レギスタンが新しい街の中心となった。ティムール時代には大きな屋根付きのバザールが造られ、孫のウルグベクの時代に最初のマドラサが建てられた。この三方にそびえる巨大なマドラサが見どころ。隣のチョルスーはギャラリーになっている。
ウルグベク・マドラサ
1417~1420年に建てられた。レギスタン広場で一番古い建物。ここには100名ほどの学生が寄宿し、イスラーム神学をはじめ数学や天文学、哲学などを学んだ。遠征先から連れてきた一流の学者やウルグベク自身も教壇に立ったと言う。35mある入口のアーチには、建造者ウルグベクの嗜好を反映して青い星をモチーフにしたタイルとモザイクの細かい模様が描かれている。
シェルドル・メドレセ
1619~1636年にヤラングトシュ県知事の指示で建てられた。シェルドルとは「ライオンが描かれた」という意味で、入口アーチに左右対称にライオンが描かれている。コーランでは、人や動物の姿をモチーフにする事は禁じられていたが、支配者の権力を誇示し、あえてこのようなデザインが描かれたと言われる。また、この複雑な模様はアレキサンダー大王時代から伝えられたとも言われる。
ティラカリ・マドラサ
レギスタン広場の正面に位置する。1646~1660年に建てられた神学校。当時、サマルカンドの大きなモスクは破壊されていたので、主要礼拝所としても使われていた。マドラサの荘厳な内装は、大理石の上に鍾乳石を使い、コーランをクンダル書体で彫刻し、ティラ(金箔)カリ(仕事)を施した。細かい遠近法で描かれた天井は、丸みが深く見え、技巧もすばらしい。
ラスベット
陽の昇る場所と呼ばれる公園。レギスタン広場の塀に沿って新市街地へ散歩、橋を渡り少し小高い丘へ登るとサマルカンドの町を見渡せる。ここからレギルタン広場の建物はもちろん、ビビハニム・モスク、グリ・アミール廟など、サマルカンドの名所が一望できるので、位置がよく確認できて面白い。サマルカンドの若者がお勧めする朝陽や夕陽を眺めるスポット。
アミール・ティムール像
レギスタン広場前のレギスタン通りを東の新市街地方向へ進むと、どっしりと構えたティムール像が見えてくる。近くにはアフラシアブ・パレス・ホテルやプレジデント・ホテルがあり、ティムールが眠るグリ・アミール廟の青いドームもすぐ近くに見える。ここから通りに沿って公園が始まり散歩コースに良い。
グリ・アミール廟
1404年にティムールが孫のために建てた。一年後、ティムール自身も葬られることになった。グリとはタジク語で墓という意味。墓にはティムールの遺言、墓を開けてはいけない「世界には悲惨な戦争の危機が及ぶ」。しかし、ソ連の学者達によって1941年6月20日に開けられた。22日、ドイツ軍がソ連に侵入。これがティムールの警告通りだったのか?偶然か?未だに議論の中心である。
ルハバッド廟
グリ・アミール廟の北側に建つ14世紀後半の廟。ルハバッドとは例の住みかという意味。神秘主義者シェイヒ・ブルハヌッディン・サガルジを祀ったもの。預言者ムハンマドの遺髪を納めた箱が一緒に葬られたという言い伝えがあり、信仰を集めたという。他のイスラーム建築物とは違って、土色のレンガがむき出しになったシンプルな建物。
タシケント通り
レギスタン広場の東側の通りからシアブ・バザール方面へ向けて、2010年から観光用の電気自動車も走り始めた。ここは散歩にも丁度良い距離。東北へタシケント通りに沿って進むと、ビビハニム・モスクなどが見えてくる。この通りには新しいお土産屋さんやカフェなどが建ち並び、観光客向けになった。
ビビハニム・モスク
レギスタン広場から東北に徒歩15分。ブルーのタイルに覆われた中央アジア最大のモスクが現れる。インド遠征から帰ったティムールは世界一のモスクを建設しようと1399年に着工、異例の早さで1404年に完成した。世界各国から建築家、画家、職人が携わり、自らの文化や技術を建築に活かした。タシケント通りを挟んで向かい側に、ビビハニム廟が建っている。
シアブ・バザール
ビビハニム・モスクの北隣りにあるサマルカンド最大のバザールで、いつも活気に満ちている。季節の果物や野菜の食品を中心に、洋服や生活用品、お土産など、何でも揃うのがバザール。庶民の台所を覘いてみるのはお勧め。サマルカンドはノンが有名。色々な色で飾られたお祝いパーティ用のノンもたくさん売られている。
ハズラティ・ヒズル・モスク
バザールからアフラシアブの丘へ進むと見える綺麗なモスク。以前、この場所にはゾロアスター教寺院があったが、アラブの侵略後、8世紀の初めに最初のモスクが建てられた。その後モンゴル軍に破壊されたが、19世紀ブハラ・ハーンによって再建された。
シャーヒ・ズィンダ廟群
ティムール縁の人々の霊廟が建ち並ぶサマルカンド有数の聖地である。シャーヒ・ズィンダとは生ける王の意味。36段ある階段を登るとドームの付きの入口があり、そこから長い通路の両側に14~15世紀に建てられた廟群が続く。綺麗なタイルと細かいモザイクの霊廟、モスクが見ものである。装飾の多様さ、美しさで中央アジアでも指折りの名所と言われている。
アフラシアブの丘
アフラシアブ歴史博物館から上って行くことができる。アフラシアブはソグディアナ(ソグド)の都であり、旧サマルカンド。この地は紀元前329年にアレキサンダー大王によって征服され、8世紀初頭にアラブ人によって征服、13世紀にはモンゴルのチンギス・ハーンによって徹底的に壊滅され、新しい町が南に移った。
アフラシアブ歴史博物館
アフラシアブの丘から発掘された土器や貴金属が展示されている。最大の見どころは1階にある壁画室。7世紀の領主の宮殿から発見された壁画には、当時のソグド人達の生活が描かれている。ラクダに乗った2人の外国人の使節、白い象に乗った花嫁、冠を載せた朝鮮人や船に乗った中国の公女達など、オアシス都市文明の繁栄ぶりをうかがわせる物だ。
ウルグベク天文台跡
アフラシアブの丘から北東に約1km。ティムールの孫、ウルグベクが現地の自然科学者達と共同開発した天文台である。ウルグベクは天文学者でもあった。建設は1428~1429年と言われている。当時としては世界最高の精度を持ち、1年の長さを現在とほぼ誤差なく計ることができた。現在は丸い天文台の基礎と六分儀の地下部分のみが残っている。隣の小博物館で当時の図面などが見られる。
ウルグベク・バザール
ウルグベク天文台跡のすぐ傍にあるサマルカンドノンが中心のバザール。ここは、地方へ行く長距離タクシーやバス乗り場にもなっているので、ノンを売る人達の商戦も激しい。バスや車が止ると、中まで押し寄せてノンを売る姿が面白い。土産用に作っているノンなので、形も良いし美味しいと地元では評判。
ホジャ・ドニヨル廟
アフラシアブ博物館からさらに東北へ徒歩5分。シヨブチャ川のほとりにある霊廟。紀元前4~3世紀のユダヤの聖人ドニヨル預言者を祀っている。ここは、イスラーム教、キリスト教、ユダヤ教の信者にとって聖地であり、世界各地から訪問する人のための巡礼地としての役割を果たしている。近くには聖水が湧き、ご利益を信じて聖水を汲む信者の姿が絶えない。
イシュラトハナ廟
イシュラトハナとは、喜びの館と言う意味。レギスタン広場から南へ約2kmに15世紀の廟があり、ティムール家の女性や子供達が地下に葬られている。かつては色とりどりのタイルで飾られ、ステンドグラスもはめ込まれていたという。その美しさから楽宮として使われていたという伝説も残っている。
ホジャ・アブディダルン廟
イシュラトハナ廟の向かいの墓地の中にある廟とモスク。9世紀のイスラーム法学者アブドゥール・マゼッディンを祀ってセルジュク朝時代に建てられ、ウルグベクが再建した。モスクは19世紀に建てられた。旧市街地の外れにあり、生活の中にあるモスクである。中庭にハウズ(池)があり、緑に囲まれ夏は気持ちが良い。
イマム・アル・ブハリ廟
アル・ブハリは偉大なイスラームの神学者で、ここに葬られている。16世紀から小さなモスクと廟があったが、1998年にウズベク政府によって新しいモスクと廟、展示室に建て直された。ウズベク中から腕の良い職人達が集められ、建築に携わった。新しく全てが綺麗で見応えがある。ここも、巡礼地として世界中から信者が訪れる。前庭のバラ園が見事である。
ホブレンコ・ワイン工場
サマルカンドの良い気候は、糖分をたっぷり含んだ美味しい葡萄を育てた。その葡萄を使った、サマルカンドワインは有名である。ホブレンコ・ワイン工場附属の葡萄酒醸造博物館には、サマルカンドワインの品質を保証する賞状やメダル、ワインの歴史などが展示されている。工場内の樽や昔のワインセラーなども見学できる。ワインの試飲や購入も可能。
紙すき工房メロス
サマルカンドに紙が伝わったのは751年。タラスの戦いで捕虜になった唐兵の中にいた紙すき職人が水車を利用した製紙法を伝えた。サマルカンドペーパーは、ここからヨーロッパへと伝播したが、18世紀にはロシアの工場で作った洋紙を使うようになり、紙生産は衰退した。1998年、サマルカンドペーパーの復興を願いコニ・ギル村のメロスに水車が再び作られた。紙作りの工房を見学できる。
カリン・ベック
タシケントにも支店を持つ、ウズベク、欧風料理のレストランの本店。シャシリクは色々な種類があり、美味しいと評判。内装がウズベキスタンの伝統工芸で飾られているので、眺めているのも楽しい。観光客、現地の人にも人気が高く、いつも賑っているレストラン。個室もたくさんあり、静かに食事をする時にも良い。
東洋音楽祭
サマルカンドのレギルタン広場で2年に1度、8月下旬に盛大に開催されるシャルク・タロラナリ。東洋のメロディと言う意味の世界音楽祭で、世界各国からミュージシャンが集まる。世界遺産をバックに繰り広げられるステージは見どころたっぷりである。
ハズラッド・ダヴッド
カシカダリヤに向かう途中にあるイスラームの巡礼地。1303段の階段を登ると山の上に小さなモスクがある。この裏山には預言者の洞穴があり、国内外からの巡礼者が絶えない所。体力が必要だが、頂上からの眺めは素晴らしく、気持ち良くなれる場所である。普通の観光地以外の旅をお望みの方にお勧め。